「あ、完ちゃんおかえり~」
「だぁっ!その呼び方やめろ!」
家の勝手口に手をかけたところでかかった緩い声。
声の主は裏の家の苗字名前であった。
商売をやっている俺の家は、道に面した出入り口が店の玄関になっている。
その広く放たれた正面玄関の横にひっそりとたたずむ細い小道を10歩ほど入る
奥まったところに、俺が使う身内の玄関があるという構造だ。
生活用の玄関であるここは、もちろん表玄関とは違いごく普通の大きさの引き戸があり、
そして横と裏の家に囲まれた空間でもある。
この裏の家の住人が、先ほどの緩い空気を生んだ張本人である。
「いいじゃない、親しみをこめての完ちゃんなんだから。」
「齢を考えろ!俺はもうちゃんづけで呼ばれるほど見た目も中身もガキじゃねぇんだよ!」
「わかったわかった。ときに完ちゃん、今夜の夕飯は天麩羅よ。」
「わかってねぇぇええ!!」
実はこのやりとり、今日ので3回目になる。
名前は大学生で、今は夏休みと称して家に戻ってきている。両親はもういない。天涯孤独の独り身というやつだ。
これだけ言うと境遇はひどく不憫なものに思われるが、当人はいたって明るく朗らかに生きている。
辛いことも悲しいことももちろんあっただろうが、それを乗り越えての今の名前なのであろう。
うちは近所のよしみで名前とは昔からの付き合いがあるが、昔からあいつはそういうやつだった。
温和で感情の起伏も緩やかで、駄々をこねたり泣き喚いたりしない。
子どもらしくない子どもだっただけかもしれない。
そのまま名前は成長した感じだ。中身に外見が追いついたといったところか。
そんな気心知れた仲だ、さっきの会話も適当にあしらって俺はさっさと家に入ってしまった。
「名前ちゃん、完二帰ってきたから、そろそろ夕飯にしましょう」
「はぁーーーーい」
だってどうせすぐに顔をあわせるんだ。
「うはー、さつまいもおいひぃ~~~~」
「名前っ、てめ、芋ばっか食ってんじゃねえっ。」
「たくさん揚げたから遠慮なく食べなさいね、二人とも」
「・・・!!・・!」ふごふごっ
「・・・おめーはリスかよ・・・」
頬をぱんぱんに膨らませて幸せそうに頷く名前を横目に、俺も二本目の海老天を頬張る。
いつもはおふくろと二人で囲む食卓が、人ひとり増えるだけでずいぶん騒がしくなるもんだ。
「名前ちゃん、学校のほうはどう?順調?」
「うん、楽しくやってます。単位も取れてるし、ちゃんと来年卒業できますよ」
「あら、さすがねぇ」
「卒業したらどうすんだ?」
「それはまだ考え中~」
「大丈夫なのかよ・・・」
「まぁ名前ちゃんのことだから何も心配いらないわね。それより完二、あんたこの夏休みはちゃんと補習受けるのよ。」
「ぶっっ、ぅう受けてるっつーの!ちゃんと毎朝起きて学校行ってるだろうが!」
「行っても寝てちゃあ駄目なんだぞ~完ちゃん?」
「ねっ、寝てねぇっ!!!!」
あ、図星なんだと悟った母親と名前だった。なんてことは、たぶん完二本人はわかってないだろうが。
「とにかく、俺のほうもなんも心配いらねぇっつうの!」と、最後のさつまいも天をガッっと掴んだ完二に
「あぁっ、私のさつまいもだそれは!」と抗議した名前によって、無理やりこの話はお流れになった。
「それじゃあおばさん、今日もご馳走様でした」
「いいのよ、また明日もいらっしゃいね」
名前はいつも片付けをしてから家に帰る。玄関先で靴を履きながら、今日もさくさく引き上げていく。いつも通りの風景だ。
「それと~、完ちゃんのボディーガードはもういらないと思うんだけど~・・・」
横でいそいそと自分の靴を履いていた俺を見ながら、名前は言った。
「だめよ名前ちゃん、最近この辺物騒だから。すぐ裏の御宅とは言っても用心するにこしたことないわ」
「いやー、私を送ったあと一人になる完ちゃんのほうが心配で~」
「ふふ、完二はこの通り丈夫な子だから大丈夫よ」
「なに馬鹿なこと言ってんだ。おら、さっさと行くぞ。」
俺の身の安全のほうが心配なんて、なに言ってんだか。こんな冗談を気安く言ってくるのはほんと、馴染みのある名前ならではだ。
俺も昔から言われ慣れすぎていて、いまさら怒る気もしねぇ。さっさと受け流す。
すぐ裏の家と言っても塀を突っ切って行くわけじゃない。一回うちの玄関を出て、ぐるりと隣の家を回り込んで裏道にある名前の家に着く。
往復5分もかからない見送りだ。面倒と思ったこともねぇ。大した会話もなくあっという間に終わる時間だ。
「完ちゃん、最近いいことあった?」
「あ?いきなりなに言ってんだ」
「なんか春にあったときとはちょっと雰囲気が違うから」
「別に・・・なんもねえよ」
いや、何もなかったなんてとんでもねぇ嘘だけどな。ペルソナとか目覚めちまったし。テレビの中で色々やってるし。
でもそんなことを名前に言ったところで、通じるはずもねえし。
「うんうん、いやね、なんか生き生きしてていいよって意味だから。」
にこにこしながら俺を見上げてそう言った名前は、薄暗い街灯と月明かりにぼんやりと照らされて、
昔と変わらないはずなのに何処か艶っぽさが出ていて、知らない女みたいだった。
「あーそうかよ、そりゃあどうも」
今が夜でよかった。すぐ赤くなる自分の顔色を見られなくて済むからな。
そんな会話だけでもう名前の家の前だ。
「ありがとね完ちゃん、おやすみ!」
「あー、おやすみ」
名前が家に入ったのを見届けて俺はさっさと元来た道を戻る。
何も特別なことはない。行って帰っての運動にもならない運動をした、それだけの時間だ。
でも少し気分はよかった。
「生き生きしてて、か・・・」
別に誰かにものすごく評価してもらいたいわけじゃない。自分の内面の変化なんざそうすぐには結果に結びつかねえもんだ。
でも名前ぐらい近しいやつだと、そんなちっぽけな変化もすぐ見抜いてなんとなく察して、それを言葉にしてくれる。
褒められることが少ない自分には、その一言だけでこんなにも浮かれちまうもんなんだと、
自分の交友関係の少なさに苦笑するのと同時に「それで十分だ」という結論が確かにあった。
自宅の玄関の前についても、無意識ににやけちまう顔をどうにもできず、俺は右手で頭をガシガシかいて、
緩んだ頬に申し訳程度の緊張を入れつつ「ただいま」と扉をあけた。